この記事は先におこなわれた、「党創立80周年あきる野のつどい」2002年8月12日、ルピアホールで、4人の市議会議員が5分間、「日本共産党と私」というお話の原稿です。

  日本共産党と私           戸沢弘征

 私が小学校の3年生の時、両親が離婚し、母と暮らすことになった。(旧姓来栖、そして母方の戸沢に姓が変わった)
 小学校三年の時から毎日新聞の配達少年として暮らしを支えて生きてきた。
貧乏な家だったので、遠足などで、弁当を友と一緒に食べるのが大嫌いだった。
オカズは、いつも、田んぼや畑のあぜに育つ、摘み草を煮て醤油をかけただけのオカズだったから包んだ新聞紙で隠して食べた。友に見られるのがいやだった。
中学を卒業し、中卒で初任給7、600円と1番給与が高い横河電機に就職し、旋盤工として働いた。切削油の匂いの強い職場だった。
 夜は小金井工業高校で学んだ。「定時制」である。授業中は眠むかった。…
教室は、昼間部の教室で、昼間部の生徒の机を夜、使っていた。
二年生のとき、昼間の生徒の万年筆がなくなり、夜間部の私達が盗んだと伝えられた。
夜の授業が終わってから、私は同級生を代表して、同室の昼間部の生徒に向かって黒板に書いた。
「俺たちは自分で働き、自分の金で学校に通っている。君たちとは違う。万年筆など私達は盗んでいない。よく探して欲しい。なかったら、俺たちがモンブランの万年筆を、稼いだ金でカンパを集めて買い、なくした男に送くる」…と書いた。
翌・翌日、昼間部の生徒が使った黒板に、「万年筆は、同僚の筆箱から出てきた、疑って悪かった」と書かれてあった。
今まで、劣等感にさいなまされていた私達、夜間部の仲間はこの事件で対等になった思いだった。
 夜間の3年のこの時に、安保闘争が起こっていた。全国金属の組合だった横河電機では、毎日、国会にデモ行進をしていた。

 私は、1961年に横河電機の職場で日本民主青年同盟に加入した。武蔵野・三鷹地域委員会の委員長になった。毎晩夜中まで、青年の未来を語った。

 1962年、40年前の8月、工場での昼休み、山田清二さんと、今、都委員会で働く佐川伸昭さんから入党の呼びかけがされた。
「みんなで力を合わせ、働くものが幸せになるために汗をかこう」と握手を求められた。
その日の夜、母の弟で、苦しかった生活を支えてくれた、日野自動車の総務部長であったおじを思い。出世ができなくなることなど考えると、寝る事が出来なかった。(伯父はその後専務取締役に栄転)
 朝方、私は、この世に生まれ一度しかない人生、戦前から命がけで、国民主権を主張し、反戦平和の旗を掲げて活動する日本共産党員の一員として、生きることが大切な事だと決意し、入党することを決めた。入党申し込み書を書き、ビニール袋に入れて、下着の下に貼り付け、翌日、昼休みに、推薦者の所に、汗だらけで濡れたビニール袋ごと渡した。
 翌日、決意を書いたが、「この決意では甘い…」と言われ、申し込み用紙が返された。私は、「働くものの社会をつくりたい」、と書いていたが、決意の次に、「命をかけて頑張ります」と付け加えた。
 (今は、人のために役立とうと思うすべての人が入党できます。申込み用紙に決意の欄はありません)
 届けると、入党審査に受かった。党の任務は、民青の地区役員として模範的な活動することが任務だと言われた。
 26歳の時、結婚した。仲人は、入党推薦者の山田清二夫婦だった。
入党して10年後、秋多町に第2の故郷を瀬戸岡に持った。
1975年の秋、党公認で、市議会選挙に「立候補を!」と、影山保議員と五日市の鈴木富雄議員が説得に来た。私は横河電機での給料が半分になることを知らずに…立候補することを決意した。途中で選挙状況により、活動の地域割りが半分になった。私は快く承諾した。
勤務しながら欠勤で選挙戦に突入した。
幸い、地元の党員、知人、赤旗読者などのお力添えで勝利した。
 
 あれから27年が経過した。

 秋多町時代に横河電機に働きながら一週間に2日、赤旗日刊紙を配っていた。
秋多町全体で、支部は1つで、十数人だった。あれから30年、…
党はおおきく前進した。党員も読者も十倍以上になった。
今日は党創立80年を記念して、このような会合が開かれた。秋多町時代には、一つの自治体で、こうした集いが開催できるとは、予想も出来ないほど前進した。
 参加者のみなさん、私から次のお願いをしたい。
人が人を搾取し、富を持つものが、貧者をこき使い、一部の者が、政治を支配し、経済大国と言いながら、仕事がなく、歳を重ね高齢化して、増え続けるホームレスをはじめ、弱者を救うことさえしない社会から、誰もが安心して暮らせる社会、日本をつくるために、日本共産党に入党して欲しいと思います。
 日本共産党員の組織は、私利私欲なく、助け合い、励ましあって活動する暖かい人間集団です。「1人はみんなのため、みんなは1人のために」、この暖かい人間集団である、日本共産党に入党することをお勧めして、私の話とします。



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