ここでは、 私戸沢ひろゆきのプロフィールを紹介しています。
「戸沢ひろゆきってどんな人だろう?」
「経歴は?」
「今までみんなの声にもとずきあげてきた実績は何が有るんだろう?」

などなど、戸沢ひろゆきの人となりを紹介しています。
市政の声を行政に届ける仕事をしているのですから市民の皆さんの目でしっかしと確かめてみてください。



昭和十六年4月神奈川県川崎市生まれ。
戦争中は茨城県友部郡住吉に疎開。
戦後は武蔵野市に住み武蔵野市立2小、2中学校を卒業。
昭和三十二年横河電機入社。同時に小金井工業高校定時制に就学。
60年安保闘争後、日本民主青年同盟参加
1962年日本共産党に入党

昭和45年に秋多町に移り住む。
昭和50年市議会議員選挙に立候補し皆様のおかげで初当選をさせていただく。
以後節を曲げず日本共産党議員として25年が経過

この間、議会では五日市線改善促進特別委員会委員長、
下水道建設促進特別委員会委員長などを歴任。
合併後は福祉委員長、保育料徴収等審議会会長、議会選出農業委員、阿伎留病院組合議員、
市営住宅審議会委員などを歴任。

私戸沢ひろゆきが秋多町を第二の故郷として移り住んだのは昭和45年です。
私と妻の典子そして当時一歳七ヶ月の長女の陽子と生後三ヶ月の長男太一の四人家族でした
昭和50年立川バスの寮母を退職した母と同居。
昭和58年に母他界。
8年前妻典子の両親を迎えました。
今年2月に義父が他界。
義父は車いすでの生活でしたが俳句なども嗜むダンディな男でした。

この間、子供の陽子と太一が結婚。
太一と結婚したまゆみさんとの間に拓と綾の二人の孫が生まれる。
陽子には2001年7月に優美を出産、現在二人ともあきる野市内に住み皆さんの御世話になっています。


現在の我が家は、妻の典子と母の神崎茂子との三人暮らしです。
平均年齢は66歳とすこし高めですが元気一杯暮らしています。
妻の典子にやっと付いて行けるぐらいの下手なスキー
これまた下手な油絵の風景画書き(笑)
日本酒の試飲?
ぬか味噌作りなどです。

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