このページでは私、戸沢ひろゆきのプライベートを大公開しています。 「プロフィール」だけでは、少しかたくるしいので、「プライベート写真館」として、 ホームページの利点を生かし、家族も含めた写真をご覧いただこうと思っています。 画像が多いので少し重いかもしれませんが、ブロードバンド時代に突入したので お許しください。 家族紹介の「Family」、秋留台地の都立運動公園やあきる野市の四季折々の表情を 掲載した「Season」。今まで出かけた外国旅行(自費)の写真などを掲載した 「Travel」などなど。 |
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戸沢ひろゆきの普段の姿や家族の紹介です。 | |
あきる野市の四季折々の表情をお届けしていきます。 | |
自費で平和を求め見聞した外国旅行記です |
平和を求め見聞した外国旅行記です |
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ハンガリーの美術館前 | スイスのアルプスの頂上で |
今ではヨーロッパに行くときは通過しない アラスカの飛行場で止まります。 白熊のはく製の前で |
ドイツのミュンヘンの町 |
東西ドイツの壁を壊しているヒッピー 私が持っているのは、壁の一番上の瓦礫 |
私は二十歳の時、日本民主青年同盟の一員として世界青年学生平和友好祭典の日本代表団に選出されました。ところが当時、日本共産党員だということで中国政府と日本の法務省が渡航申請を許可しませんでした。 私は働いていた横河電機を欠勤し、当時法務省の玄関先でビザを出さないのは不当だと一週間座り込んだものでした。四十年前の当時、日本共産党は世界の共産主義の路線に対して自主独立の立場に立ち、中国共産党やソ連共産党指導部の誤った路線を批判し、日本の民主・革新の政治路線は日本の国民が自主的に決めて、日本の国の政治は、あの十五年戦争の教訓からつくられた日本国憲法が名実ともに生かされる、国民が主人公の政治をつくりあげることを党綱領で決めていました。 政権をとっていない日本共産党が中国やソ連の政権党に、堂々と過ちを批判し、言いなりにならず、国民に対し責任ある政治路線と政策を確立していました。 私が市民の支援をいただき党の議員にさせていただいたのを機会に四回の夏休みをいただき、ソ連の覇権主義の間違いが表面化してベルリンの壁の崩壊した十一年前(1990)、この目で確かめたいとヨーロッパへ自費で行くことにしました。それが海外旅行の始まりです。 |
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